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研究科長室より

期末試験の季節を終えて

2022/09/01

 7月下旬から8月上旬にかけて、春・夏学期の期末試験が行われました。が、今年もまた、コロナ禍での挙行となりました。本試験こそ対面で行われたものの、追試験はオンラインで行わざるを得なかったため、学生の皆さんにも戸惑いがあったのではないかと推測します。いやむしろ学生よりも教員の戸惑いの方が大きかったかもしれません。8月中旬には試験の採点も終わり、その後、試験の講評が出たり、解説講義が行われたりしています。8月下旬には成績評価に対する異議申立期間が設定されましたので、異議申立書を提出したという人もいるでしょう。今月上旬には審査報告もあるはずです。試験の結果に満足している人もきっといるはずですが、どちらかというと、結果にがっかりしている人の方が目立つかもしれません。

 本研究科のみならず、一般に、法科大学院における成績は、司法試験の合否と強い相関性を持つと言われています。司法試験合格者の中で、成績上位者が占める割合はかなり高いということです。もちろん、成績上位者だからといって、最初に受けた司法試験に必ず合格するとか、成績下位者は司法試験を受けても合格できないというわけではありません。しかし、学内成績と司法試験の合否の間に強い相関性が見られる以上は、成績上位者でいることが司法試験合格への確実性を高める、と考えるのが自然でしょう。

 ただ、このような発想が司法試験至上主義と同質の学内成績至上主義と結び付いてしまうことは、問題だろうと思います。もちろん、成績を上げたいと思うこと自体は全然問題ではありません。成績が芳しくない人は、成績を上げるために行動しなければなりませんし、成績を上げようとして、試行錯誤の努力を重ねることも必要です。しかし、成績がよくないのは成績評価をする人がよくないからだ、とか、他人の成績を下げることができれば、自分の成績は上がるはず、といった思考に陥ってしまうと、それは非生産的というだけでなく、誤った方向へと行動が導かれてしまいかねません。

 確かに、成績は評価の産物ですから、評価する人の判断に依存します。自己評価がそれと食い違った場合は、評価した人の判断の誤りを疑いたくもなるでしょう。また、評価の過程に過誤が生じる可能性もゼロではありません(これをあぶり出すための仕組みとして、成績評価の異議申立制度が置かれています)。しかし、成績評価というものは、常に他者評価であって、自己評価によるものではあり得ません。自己評価に比して他者評価が低いと感じる場合は、まず、他者評価を基準にして、そこから自分の成績結果の問題点を洗い出してみるべきです。評価をした人の判断に疑義があるからといって、自己評価がそれに置き換わることはないのです。試験の結果についても、自分のどこに問題があるのかを検討していく方が、結局のところ、成績の向上につながるものです。

 本研究科の成績評価は、基本的に相対評価の手法によっています。そのため、多くの人ができていることができていないと評価されたら、成績は低くなりますし、逆に、多くの人ができていないことができていると評価されたら、高くなります。このことを逆手にとって、他人の足を引っ張ることで、相対的に自分のポジションを上げようと画策する人も、ひょっとしたら、いるかもしれません。しかし、仮にそのような試みが成功したとしても、実力に変化があったわけではないため、たとえ成績が上向いたように見えた場合でも、そのように見えただけのことで、持続可能性は全くありません。むしろ他人を尊重し、互いに協力して、情報を交換し合う方が、結局のところ、成績の向上につながるものです。

 以前、歴代の首席卒業者に、どのように勉強してきたのか、尋ねたことがあります。回答は大抵シンプルです。自分は学習者だから、教えられたことをしっかり学び、それを吸収していくだけだと言うのです。他方、他人から自分の勉強の仕方を問われたら、答えるようにしていたとも言います。そうすると、教員も同級生の方からも、自分に色々な情報をくれるようになるので、結果的に、自分にとっても有益だったそうです。参考になる学習姿勢ではないでしょうか。

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