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研究科長室より

「司法の窓」から考える

2025/01/22

 最高裁が発行する「司法の窓」は、裁判所に関する情報を広く一般に伝えるために公刊される広報誌です。かつてこの広報誌は、年2回の発行で、裁判所見学者等に無料配布され、閲覧用に全国の公共施設に送付されていました。現在は年1回、5月の発行で、紙ベースはなく、裁判所ウェブサイトにのみ掲載されています。閲覧しようとするときは、まず裁判所のホームページを開き、「裁判所について」のタブをクリックして下さい。そこに「広報誌『司法の窓』」の表示があることがすぐに分かります。

 「司法の窓」の記事の中で、私が皆さんに閲覧をお勧めしたいのは、巻頭言にある「15のいす」です。「15のいす」は、15人の最高裁判事のうちの1人が、最高裁の仕事に関わるトピックを1つ選んで執筆したエッセイです。巻頭言ですから、分量的には短めのエッセイです。「司法の窓」の発行が年1回であることを思うと、最高裁判事がこの欄で執筆を依頼される回数は、在職中、1回あるかどうかになると思われます。そのためか、おそらく一生に一度の執筆を担当した最高裁判事のメッセージは大変力強く、かつ、とても興味深い内容になっています。

 「司法の窓」の最新号は20245月発行の第89号でした。「15のいす」を執筆されたのは深山卓也判事であり、タイトルは「将来を予測することの難しさ」でした。これは本当に興味深いエッセイです。深山判事は「立案事務では、新たな法規範にどのような要件、効果を設定すれば立法目的を過不足なく実現できるかを予測する必要がある。しかし、この予測が的確に行われず、制度の濫用などの思わぬ弊害を招いてしまう場合もあり、立案事務の難しさの一つ」とした上で、最高裁の法解釈も国民生活や社会経済に波及効果を及ぼすため、「対立する複数の解釈のそれぞれについて、その解釈を採った場合に導かれる個別の事件の結論のみならず将来の社会の事実状態にもたらす変化をも予測し」最善の解釈を選択しなければならないが、この作業は困難を極める、と吐露されています。

 同様の感想は2018年の第83号に「15のいす」を執筆された山本庸幸判事のエッセイにも伺えます。山本判事は内閣法制局長官の前歴を有することもあり、自身がかつて立法作業で係わった法律の解釈に直面したときのことを取り上げます。いわく、立案の段階で条文中に詳細を書き込みすぎると、細かすぎて読みにくく、かつ早晩陳腐化して使い物にならなくなるため、そうはならないように、将来起こり得る事態を想定して、規定すべき法規範の内容を簡潔かつ必要十分な範囲で記述すべきところ、「社会や技術の進展は想定以上のことが多い」ので、裁判所での条文解釈の段階で再び問題になる、とされます。裁判は通常、過去を志向するものですが、法解釈に当たっては未来の展望も不可避なのでしょう。

 これらのエッセイを読みながらふと思ったのは、同性婚を明示的には許容していない民法・戸籍法の合憲性が争点となった裁判のことです。「結婚の自由をすべての人に」訴訟では、既に札幌・東京・福岡の3つの高裁が違憲判決を下しており、今年3月には名古屋・大阪の2つの高裁が判決を予定しています。そこでは「婚姻」や「夫婦」が男女の人間関係に限定されるのかが問われています。憲法や民法の起草者も同性愛のことは知っていたはずですが、同性婚を当然に含める意図はなかったでしょう。でも、だからといって、同性婚をことさら排斥する意図もなかったと思うのです。では、「婚姻」や「夫婦」の要件はどのように解釈されるべきなのでしょうか。

 上記訴訟の裁判官はきっと悩むでしょう。立法時にどのような将来予測がなされていたのか。社会通念の変化は将来の立法者の評価に委ね、裁判では旧態依然たる姿勢で臨めばよいのか。それとも時代の変化に合わせて要件を拡張すべきなのか。高裁の判決が出揃えば、結論がどうあれ、間違いなく上告されるでしょう。そうなれば、最高裁が「対立する複数の解釈のそれぞれについて、その解釈を採った場合に導かれる個別の事件の結論のみならず将来の社会の事実状態にもたらす変化をも予測し」最善の解釈を選択することになります。確かにこれは難しい判断です。皆さんも最高裁の解釈を予測しながら、自ら解釈してみてはいかがでしょうか。

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