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研究科長室より

高等司法研究科新入生オリエンテーションにおける研究科長挨拶

2015/04/01

本日みなさんを高等司法研究科に迎えることができたことを大変うれしく思います。そして、こころよりみなさんを歓迎いたします。

本研究科の大きな特長は、教員と学生との距離が大変近いことです。私たちは、みなさん一人一人を一丸となって手厚くサポートする環境を用意しています。この点は、他の法科大学院に負けるものではないと自負しています。みなさんが、法科大学院修了にふさわしい目標に向かって努力しようとするかぎり、本研究科の教職員は、最大限サポートすることを惜しみません。皆さんは安心して、自らの目標の実現に邁進してください。

法科大学院制度は、みなさんも御承知のように、現在さまざまに議論の対象となっています。 この間の議論のなかには、法曹養成をめぐる戦前以来の典型的な議論の一つが見られます。それは、旧司法試験制度の源流となった戦前の高等試験司法科試験が導入されるときの議論です。そのときの帝国議会で、ある議員は次のように主張しています。 高等教育機関における専門的な法学教育課程を経るという要件は「抑々愚か」であり「出来るか出来ぬかが勝負でその為めの試験だから、中学校であらうとも何処であらうとも一向差支ない、詰り学校と云フのは要するに入れ物だからどんな入れ物から出て来なければならぬと云フ道理はない、其者がしっかりして居れば宜いのである」 こうした教育課程の意義を無視した「乱暴」とも思われる議論を経て、大学の法学専門教育課程から切り離された司法試験制度が導入され、戦後長く続いてきたわけです。

2004年に導入された法科大学院制度は、これを改めたわけですが、いま再び当時と同じような議論によって、「異議申し立て」を受けています。

法曹を養成する最良の方法は、試験さえあればよいのか?法科大学院は、社会にとって、あるいは法曹を目指すものにとって、単なるコストを強いるものにしか過ぎないのだろうか?この問いに直面しています。私の答えは、もちろんNOです。しかし、この問いに対する答えは、研究科として追求していかなければなりません。そして、いくつかの教育の高度化に向けての施策を研究科をあげて準備しています。皆さんにこれから徐々に示していきたいと考えています。

最後に、これから紹介する言葉は、昨年も皆さんの先輩たちに伝えた言葉です。19世紀イギリスの思想家、ジョンスチュアート・ミルの言葉です。かれによれば、弁護士や医師など「専門職に就こうとする人びとが、大学から学び取るべきものは専門的知識そのものではなく」、「その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く」ものであるとしています。そして弁護士を例に引いて、大学で学ぶことを通じて「単に詳細な知識を頭に詰め込んで暗記するのではなく、物事の原理を追求し把握しようとする弁護士となる」と強調しています(J.S.ミル著、 竹内一誠訳『大学教育について』岩波文庫による) 試験で測られるものには、限界があります。「物事の原理を追求し把握しようとする」体系的な思考に基づく「法学識」、これを身につけることこそ大学に設けられた法科大学院の使命であると考えています。その意味で、法科大学院は他に互換可能な単なる「入れ物」ではないのです。

本日皆さんを迎え入れることができて、このことを社会に対して示していくという決意を新たにしました。みなさん自身がより高い地平に到達できるようにこれから精進されることを期待して、私の挨拶とさせていただきます。

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