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研究科長室より

一区切りを付けるということ

2023/03/07

 多くの人にとって3月は区切りの月に当たります。3月が年度末に当たるところは珍しくありません。年度末に一応の区切りを付け、きちっと精算してから、翌月の年度初めを迎えるという慣行は、多くのところで見受けられる普通の光景です。言うまでもなく、大学においても3月は大きな区切りの月になります。まず、3月には卒業式があります。本研究科でも23日に修了式を予定しています。全員ではないとしても、3年次生のほとんどが研究科の課程を修了します。

 在学生にとっても3月は進級する・しないが決まる大事な月です。進級が決まれば、1年次生は2年次に進み、2年次生は3年次に進みます。当たり前と言えば、当たり前のことですが、次の年次に進む前に、ここで1つの区切りを付けるということが大事ではないかと思います。例えば、1年次生は、2年次に進む前に、この1年間を振り返り、自分が2年次に進む用意が本当にできているか、自分の現在地を意識し、反省しておく必要があります。これまでは法学未修者とみなされ、かつ、法学に馴染めていないことも当然視され、相応に配慮されていたかもしれません。しかし2年次に進めば、未修者と既修者の区別に気を遣われることもなくなります。3月に区切りを付けて4月に臨まないと、突然の変化に対応が追いつかなくなるおそれもあります。

 3年次生は課程修了によって否応なく区切りに直面させられると言いたいところですが、法科大学院の修了生は、その後に控える司法試験に気を取られがちで、3月の区切りを自覚しづらいのが現実のようです。修了式を終えても、一区切りを付けた感を味わうより、まだ終わっていない感の方が先に来るというのが、法科大学院生の実感であろうと思われます。司法試験の実施が2ヶ月先に延びた今年は、特にそうではないかと想像します。本来であれば区切りを付ける時期なのに、そのことを意識しないまま、これまでの延長線上で生活を継続してしまいかねないということです。

 同じことは、在学中受験を考えている2年次生にも当てはまります。2年次から3年次への区切りに対して、これといった意味を見出すことより、4ヶ月後に迫った司法試験の方が気になって、むしろ区切りを無視しようとする傾向の方が強いのかもしれません。熱心に勉強している人の中には、流れに棹さして、ここでもう一段ギアを上げ、勉強の質及び量を上げる方向に動く人もいそうです。それもまた区切りの振る舞いと言えなくもないのですが、一度立ち止まって過去の自分を顧み、その姿勢を幾分反省して、それから次の段階に進むという意味での区切りとは違います。

 しかし一旦停止した上で、少しの間、自分のこれまでを振り返り、反省を踏まえて今後の行く末を考えてみることは、長い人生を送る上において、必要なことではないかと思います。沈思黙考や気分一新の機会は、大抵、区切りのときにもたらされます。長い人生には区切りが必要なのです。生活に区切りがないと、だらだらとした時間が流れるだけか、ずっと緊張したままの時間が継続するだけになり、転回も改新もない、つまらない人生になってしまいます。入学式や修了式が設けられているのも、意図的に区切りを設定し、転機を与えるためだと解釈できます。もちろん、区切りの時点で方向を転換しなければならないわけではありません。そこでは一旦停止と自己省察が促されるだけのことです。しかし、立ち止まって考えるからこそ、惰性では得られない飛躍が見込めます。飛躍のためには、一生懸命に打ち込む時間も要るのでしょうが、おそらくそれは区切りと区切りの間にあると思われます。

 3月は1年の中で区切りを最も意識させてくれる月です。私も、今の役職に就いて早1年、もはや新人気分ではいられません。今月を区切りにして、反省すべき点は反省し、気持ちを入れ替えて、次の1年に臨みたいと思っています。ずっと緊張したままだと妙なところで切れてしまいかねませんし、だらだらとしていても、よい仕事はできないので、ここで区切りを入れて次に向かいます。そして飛躍を目指したいと思います。

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